9月2日 秋の荒尾モニターツアー

天気予報が気になる1週間でしたが、”It is fine today”前日の雨がやみ、絶好の旅行日和になりました。レポート担当の杉野良太郎です(ペンネーム)。

スタッフ一同午前9時に荒尾駅に集合です。受付係、旗持ち係、集金係、バス案内係と、それぞれの持ち場につきました。お申込み37名様全員集合です。バスは西鉄観光バス打合せの時間どうりに到着、座席は指定席です。バスに乗り込み、初めに、まち案内人の会長平木波留美よりのご挨拶から始まります。いつもより、かなりの厚化粧で決めてきました。「スタッフの日頃の行いがよかったので晴れました」嘘つきですねー。旅行参加のお礼と本日のコースのご案内です。荒尾干潟~猫宮大明神~本田観光梨園(昼食)~小代焼ふもと窯~万田坑~最後にJR荒尾駅のコースになります。

ここで、バトンタッチ。1番バッター馬場の出番です。

馬場の自己紹介から始まりました。名前はババですが、歳は若いです。いつもの「ワンパターン」の受け狙いです。若い頃は車に乗っていても、よく道を譲っていただきました。最近は道を譲って貰うのが少なくなりました。と本人は申しましたが私どもは疑問文です。

ほんとかいな、ウソでしょう。と言っていたガイド仲間がいました。

荒尾干潟に到着です。ラムサール条約登録地の干潟です。渡り鳥の中継地、越冬地です。ゴカイ類、貝類、小型の甲殻類が生息し、シギ・チドリ・クロツラヘラサギなどが餌を求めてやってきます。ラムサールとはイランの都市の名前です。そこで条約が結ばれました。

また、海達公子の詩碑があります。海達公子の同級生の娘さんが今回の旅行に参加いただきました。 海岸の散歩する時間がありました。「有明の月」もまだあります。満月を過ぎると月の出がだんだん遅くなります。翌朝の太陽が昇ってきても、まだ月明かりが残っている。明かりが有る。「有明の海」の語源です。

ここで選手交代です。真打の登場です。2番バッター林美保が猫宮について、ガイドをします。

取り出したのは「紙芝居」です。始まり・・はじまり・・むかし昔せながに入江があり、そこに「せなが長者」がいました。出入りする唐船と盛んに取引をして栄えていました。自慢の一つにとても強くてこれに勝てる猫も犬もいないという猫がいました。

ある時、唐船の船主と酒を酌み交わしているとき、長者の猫の事を聞くと、「お互いの宝物をかけて私の犬と勝負しましょう。」と船主が申し出しました。船主の犬もこれまで負けを知らない強い犬でした。話はまだまだ続きますが書面の都合上ここでカットです。猫が勝ちましたが、深手を負って3日後に死んでしまいました。長者は猫を憐れんで祠(ほこら)を建てその霊を慰めました。これが猫宮大明神の起こりです。林と平木が、この紙芝居を見事に演じ切り、拍手喝采でした。「ありあけの里」に立ち寄り、昼食場所の本田観光梨園に向かいます。ここで昼食になります。元々レストランではない為、37名分のカレー料理を作り配膳する人員が足りません。ガイドはウエイトレスとウエイターに変身です。私たちがお手伝いして無事食事終了です。梨がいっぱいのカレーは“まいうー”です。それから梨園の社長本田さんの案内でなし狩りです。豊水の食べごろでした。ジャンボ梨はまだ早いそうです。ひと月後には、OKです。ここから、小代焼ふもと窯に向かいます。

3番バッター新婚の吉丸大樹が担当です。

ふもと窯の駐車場に詩人の坂村真民の詩碑「念ずれば花開く」があります。なにごとも、一生懸命祈るように努力すれば自ずから道は開ける、夢が叶うという意味です。詩碑を後に登り窯の見学です。豊臣秀吉の朝鮮出兵時、帰国の時に多くの陶工を日本に同行して、それ以降、日本の陶器・磁器は飛躍的に発展しました。肥後の国では、加藤清正・細川忠興(ただおき)が小代焼を庇護しました。小代焼の登り窯は1300度の温度になります。煙も燃えます。ご当主、井上泰秋さんのご子息尚之さんの熱のこもった案内で深い感銘を受けました。薪は松の木です。展示場の見学後、万田坑に向かいます。

ここからは4番バッター平川雄二の登場です。

まずは石炭発見の歴史から。むかしむかしの室町時代、1469年(文明元年)正月の15日、三池郡の稲荷村に住んでいた老農夫「伝治(でんじ)左(ざ)衛門(えもん)」による燃える石の発見が始まりです。江戸時代の1721年、柳川藩の家老小野春信により、組織的に掘り出されました。その頃は瀬戸内海の沿岸での製塩に使うのが主でした。「あれー」お客さんが寝ています。ただただお話してもちっとも面白くありませんね。本日は平川の得意技おやじギャグが出なかったので笑いが取れません。そうこうしているうちにバスは万田抗に到着です。万田坑ステーションでは昭和14年当時のミニチュアが展示してあります。ここの煙突の高さは、49m、炭坑節に歌われた田川の煙突は45.45m。万田坑の勝です。ステーションを出たらバトンタッチです。

5番バッターの福山雅治じゃなかった福山信二に交代です。

福山は万田坑のボランティアガイドもしているのでここの案内はお手の物です。「本日はみなさん炭坑夫になったつもりで見学してください。」福山の第一声です。な・なんと私たちに坑内に潜って石炭を掘り出させる魂胆です。初めに山の神に無事を祈ります。弁当を持ってケージに乗ります。地下270mの坑内に1分で着きました。坑内は暑いです。石炭を掘ってゲージでまた昇って、風呂に入ります。風呂は3つあります。さあ本日はご苦労様でした。日当はありません。福山なりの工夫を凝らした面白い案内でした。記念撮影もすみました。自信に満ちたガイドさんでした。

万田坑を後に最後の訪問先、JR荒尾駅に到着です。西川駅長さん直々のお出迎えです。

体格の立派な方です。駅長さん自らマイクを握り説明が始まりました。荒尾駅は大正元年に開業しました。初めは、万田駅と呼ばれ三池炭鉱の石炭を輸送する貨物専用の駅でした。昭和18年に荒尾駅と改称しました。4番ホームに行っても案内は続きます。しかし、ここでこのツアーは終了です。平木会長の締めの挨拶で解散です。“本日は朝からバスの旅、大変お疲れ様でした。楽しんで頂けましたでしょうか。私たちガイドも、至らないところがたくさんあったと思いますが、荒尾の魅力を少しでもお伝えできたらと思っています。これに懲りずにまたお会い出来たら大変光栄です。有難うございました。謝謝!!!”